【本まとめ/感想】喰いたい放題(色川武大)
2016/11/06
著者の食エッセイ集。
本から印象に残った部分を抜粋
鰹節
ではお前は、ふりかけの小袋以上に、愛する食べものはないのか、と問われれば、私も男だから、とっておきのアレのことを記さねばならない。
ねぎをみじんに切り、鰹節と海苔を混ぜ、化学調味料と醤油であえる。ただそれだけのものだが、もうこれが食卓の上に出ると、ハアハアと肩で息をし、舌がだらりと伸びる。
卵
スーパーなどで1ダースくらいずつパックされて売られているやつは無精卵で、子のかたまりでもなんでもない。
昔は日常の食べ物ではありながら、たまごはそれ相応のぜいたく品であった。安くて、感動もなく量産されていて、くだらなく便利になってしまった。
とにかく、よい店、よい商人というものは、構えでなく、愛嬌でなく、ただあつかう物にどことなく気品がただようもの
タケノコ
4月はタケノコの月。もっともタケノコは晩春のもので、むろん5月にもかかっている。これがまた、女どもが嫌な顔をする食べもので、カミさんなどは、あの皮を剥いで煮る手間を嫌がる。喰いたかったら外で食ってこい、という。
しかしやっぱり、大方の食通がおっしゃるとおり、京都のタケノコがよろしい。
グリンピース
ただ塩ゆでにしたのを皿に盛り上げておくだけでいい。出盛りの、少し固めのやつを口の中でプツプツと噛み始めるととめどがなくなる。
本当はいくらか固めの、シャンとした大粒のやつがいいのだけれど、缶詰の、舌の上でピシャッと潰れるほど柔らかいやつだって大歓迎である。炒飯、ハヤシライス、チキンライスなどに点々と豆が添えられているのを見ると、なんだか、よかった、と思うし、この皿のご飯を食べつくすまでのどのあたりで豆を口に入れようかな、と思ったりする。
グリーンピースの白眉は、なんといっても炊き込みご飯。
「今日はお豆ごはんですよ」この一言は千鈞の重みがある。
ダシ代わりの白子もいらない。色付けの醤油も不要。塩をパラパラッといれて、ちょっと固めに飯を炊くだけでいい。あんなに美しい、美味なものを嫌いとはなんという罰あたりであるか。
4月にたけのこご飯を飽食し、5月に豆ごはんを食いまくり、それから豆の王者、そら豆。夏が来ると枝豆。
空豆が豆の王者というのはまことにそのとおりで、あれほど完璧な食べ物というのも珍しい。
新野菜
5月は夏野菜の出盛る月で、人参でも玉ねぎでも、新のキャベツえも、みんな生まれ変わったように艶々として現れてくる。
食べるということは、根本的には不道義なことであり、だからこそ何にも代えがたいほどうしろめたい楽しみがともなう。
レモンパイ
ところで、近頃なぜか、レモンパイというやつをあまり見かけなくなったな。チーズケーキにすっかり押されてしまった。甘味を抑えたうまいレモンパイが食べたい。
さつまいも
私は、晩秋から翌年の寒明けにかけて、目の色変えるほどにして金時を探し回るけれども、年毎に減ってくるようである。ついでに話すと、金沢あたりで売っている五郎島芋という実の白い芋も、甘くてうまい。
うなぎ
うなぎもそのものは、昔に比べてぐっと味が落ちた。まず第一に、養殖のもの、ただやたらに肥満していて、脂たくさん。身が柔らかすぎる。養殖場で、なんの苦労もなく、飽食していたものの持つだらしのない味だ。舌にのせてトロ、はいいけれど、トロトロすぎる。
Hiroのメモ書き
78年の作品「離婚」で直木賞を受賞した故・色川武大さんによる食エッセイ。
著者の個性というか、性格が直に伝わってくるようなさすがの文章力でした。
今のご時世、金時芋を眼の色を変えて探し回る若者がどれだけいるでしょうか。
そら豆を「完璧な食べ物」と言える人がどれだけいるでしょうか。
本を読みながら、そんなことを思ったりしました。